さて、山田風太郎の「魔群の通過」のメインは、天狗党が、常陸(茨城県)から京都を目指す凄絶な道程だ。
天狗党の行程
天狗党は1,000人という集団で上洛した。
何百丁という鉄砲、おびただしい荷物、12門の大砲を、それを運ぶ馬150頭を引き連れつつ、進んだ。
中山道などの街道ばかりでなく、地元の猟師しか知らない道なき道も進んだ。
那珂湊(なかみなと)から越前敦賀まで、いくさをし、死者けが人を出しつつ、山道を、雪の中を、200余里(約800キロ)、50日間彼らは歩き続けた。
上洛の原動力
何が彼らをここまで突き動かしたのか。
天狗党は、水戸・幕府連合軍と戦い、常陸大子村まで追い詰められた。
白旗を揚げるかどうかという窮状の中で、藤田小四郎は上洛するという「転進」を思いつく。
京都に行って、天皇や徳川慶喜に自分たちの攘夷の志、思いを聴いていただこうというのだ。
天狗党に、希望の火がころがりこみ、肉体の限界を超えた行動に出る。
天狗党は幕府軍に追われつつも、京都を目指し大行軍を続けることになる。
逃亡者たち
しかし、天狗党1,000人といっても、実は士分の者は400人に満たず、残りは百姓、人足、やくざものなどの混成集団だった。
途中で加わった者もいたし、脱落した者もいた。
全員が攘夷を天皇や慶喜に伝えたいという思いで行動したわけではないはずだ。
では、何が彼らをここまで突き動かしたのか。
団体の持つ自己拘束力のようなものだったのではないか。
武田耕雲斎や藤田小四郎らは、「幕府に攘夷行動を取らせたい。そのために天皇や徳川慶喜を説得する。そうしなければ日本は滅びる。」という強烈な思いで200余里の行程を踏破したのかもしれない。
しかし、その他大勢を律したのは、厳しいことで有名な天狗党の軍規ではなく、もちろん攘夷への思いなどでもなく、
集団や団体そのものが自律的に持ち合わせているメンバー相互を拘束する力だったのではないだろうか。
その拘束力からのがれ、または気にもせず、逃亡した者は何人もいた。
残った者は、逃亡者の自滅を信じていた。
しかし、後になってみれば、彼らは助かった。
助かったどころか、日本一の生糸貿易商になった田中平八のような男もいる。
天狗党処罰の惨劇
一方、残った者には過酷な運命が待ち受けていた。
京都まであと少しというところで、幕府軍が待ち受けていたのである。
それも、攘夷の思いを聴いていただきたいと切望していた水戸藩主直系の徳川慶喜の指示で。
天狗党もついに進退極まった。
天狗党は加賀藩に投降したあと、幕府軍に引き渡され、敦賀で田沼玄蕃頭に裁かれ、処刑された。
水戸では諸生党頭目の市川三左衛門によって、天狗党の家族が殺された。
そのすさまじい殺戮劇は読んでいただくしかない。
水戸藩の悲劇
しかし、これで終わったのなら、天狗党始末記はここまで悲惨さ、不毛さを語り継がれなかったかもしれない。
生き残った天狗党の中に、武田金次郎という17歳の少年がいた。
武田耕雲斎の長兄の子供。この物語の話者、武田耕雲斎の四男・武田源五郎(15歳)の年上の甥にあたる。
幕府が維新政府軍に破れるにしたがい、この金次郎が水戸に戻って、諸生党およびその家族に復讐を遂げていく。
天狗党とその家族が被った悲劇を、諸生党とその家族にそのまま再現させたのである。
思想面では明治維新の原動力を生み出したともいえる水戸藩は、この不毛な内戦のために、現実面ではなんら積極的な影響を及ぼすことなく、また維新政府の顕官を出すこともなく終わった。
藩内の内戦で人材を消滅させてしまったのである。
女の視点
山田風太郎であるから、これだけでは終わらない。
天狗党は、西上の行路で水戸・幕府軍に攻め込まれないよう人質を確保していた。
「幕府軍の総督・田沼玄蕃頭の妾、おゆん」と「諸生党の頭目・市川三左衛門の娘、17歳のお登世(とよ)」の二人の女である。
武田金次郎と武田源五郎が敦賀で処刑されなかったのも、彼女たちの必死の助命が功を奏したからだ。
敦賀で田沼玄蕃頭が天狗党を裁こうとしたとき、おゆんがしゃしゃりでてくる。
田沼玄蕃頭も天狗党も鎮まる。
おゆんは、女の目から見た風景を語り出す。
それによって、今までの天狗党をめぐる一連のできごとが、まったく違う情景となって読者の眼前にあらわれてくる。
この物語のクライマックスといえる場面かもしれない。
お登世と金次郎
もう一人の人質、諸生党の頭目、市川三左衛門の娘・お登世は、どういう運命をたどったのか。
天狗党上洛の過酷な旅路の過程で、お登世と武田金次郎は同い年ということもあり、微妙な関係をかもし出す。
武田金次郎は、お登世らの懸命の助命によって処刑を免れたにもかかわらず、水戸に戻って狂気のような復讐に走る。
復讐劇の最終目的は、お登世の父・市川三左衛門の処刑だ。
市川三左衛門を処刑したあと、武田金次郎の狂気も枯れ果てたのか、市川の家族には手をつけなかった。
この物語の話者・武田源五郎は、その後の二人の行方を知らないと語る。
それから20年余ののち、福井で裁判官をやっていた源五郎はある事件を担当する。
その事件とは?
山田風太郎の小説は、抱腹絶倒の忍法ものでさえ、読後、寂寥感を感じさせることが多い。
裁判官武田源五郎の語る事件で終わる「魔群の通過」も、茫漠とした寂寥感で幕を閉じる。
ぜひ、幕末のこの特異な事件を山田風太郎の筆で味わってほしい。