- 2020年5月10日
- 2020年5月14日
南北朝正閏論がわかる本(3冊)
南北朝正閏論は、南朝の天皇と北朝の天皇のどちらが正統かの議論です。南北朝時代を扱った本ではよく言及されていますが、正閏論だけを詳しく論じた本はなかなかありません。 そういった中で、南北朝正閏論を理解するために役立つ本3冊(番外編まで含めれば4冊)をご紹介します。 1.松本清張『小説東京 […]
南北朝正閏論は、南朝の天皇と北朝の天皇のどちらが正統かの議論です。南北朝時代を扱った本ではよく言及されていますが、正閏論だけを詳しく論じた本はなかなかありません。 そういった中で、南北朝正閏論を理解するために役立つ本3冊(番外編まで含めれば4冊)をご紹介します。 1.松本清張『小説東京 […]
南北朝正閏論とは 南北朝正閏論とは、鎌倉幕府の終わりから足利時代のはじめにかけて、「南朝の天皇」と「北朝の天皇」が同じ時期に二人並立したときがありましたが、どちらの天皇が正統かを論じる議論のことです。 ここでいう「正閏(せいじゅん)」とは、正統か閏統かということなので、正統でないほうは […]
後期水戸学は、藤田幽谷から始まった。幽谷の思想は、天皇が日本の頂点に位置することの明確化であったが、これを引き継いだのが、会沢正志斎(1782〜1863)、藤田東湖(1806〜1855)ら、幽谷の弟子たちだった。 代表的な著作は以下の二つである。 会沢正志斎の「新論」 &n […]
後期水戸学(その1)はこちらです。 早熟の天才にして、後期水戸学の創設者、藤田幽谷(ゆうこく)は正名論(せいめいろん)を書くが、ときの権力者・松平定信は、正名論の中に天皇重視、幕府軽視の思想を感じ取り、幽谷を幕僚として採用しなかった。幽谷は江戸藩邸での水戸藩官僚の不正を暴くが、その筆法が激烈なことで […]
今回は、後期水戸学について説明します。 江戸中期から幕末にかけて、藤田幽谷、藤田東湖、会沢正志斎ら、強烈な思想家が出てきて、後期水戸学を作り上げます。 前期で尊皇思想を主張した水戸学は、後期では尊皇攘夷となり(「攘夷」が加わります)、思想は先鋭化していきます。 明治維新を実現する理論的根拠となり、維 […]
ここでは、江戸時代の水戸藩で生まれた水戸学という学問、その中で前期水戸学と言われるものについて説明します。 水戸光圀が始めた「大日本史」のについての説明、その思想が中心です。 冒頭、少し、幕末の天狗党の乱にひっかけて説明を開始します。 天狗党の乱の淵源 幕末の天狗党の乱は、水戸藩の中で […]
さて、山田風太郎の「魔群の通過」のメインは、天狗党が、常陸(茨城県)から京都を目指す凄絶な道程だ。 天狗党の行程 天狗党は1,000人という集団で上洛した。 何百丁という鉄砲、おびただしい荷物、12門の大砲を、それを運ぶ馬150頭を引き連れつつ、進んだ。 中山道などの街道 […]
幕末、水戸で天狗党の乱という内戦があった。 明治維新の思想的原動力となった尊王攘夷という概念を作り出しながら、明治になって政府の顕官を一人も出さなかった水戸藩。 天狗党の乱という「総力戦」を藩の中でやってしまったので、歴史的にはもぬけの殻になってしまった水戸藩。 「魔群の通過」は、そんな天狗党の乱を […]
皇統が南朝と北朝に分かれ、武士もそれぞれ分かれ混乱の時代が続いたが、南朝の中でもさらに皇統が分裂し、北朝の中でもさらに皇統が分裂した。 光厳天皇の息子たち 鎌倉幕府の執権・北条高時によって擁立された北朝初代の天皇が光厳天皇だが、その息子の代で二つの皇統にわかれた。 ちょうど、後嵯峨天皇の息子の代で、 […]