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南北朝

  • 2020年2月24日
  • 2020年2月24日

持明院統(北朝)の分裂

皇統が南朝と北朝に分かれ、武士もそれぞれ分かれ混乱の時代が続いたが、南朝の中でもさらに皇統が分裂し、北朝の中でもさらに皇統が分裂した。 光厳天皇の息子たち 鎌倉幕府の執権・北条高時によって擁立された北朝初代の天皇が光厳天皇だが、その息子の代で二つの皇統にわかれた。 ちょうど、後嵯峨天皇の息子の代で、 […]

  • 2020年2月16日
  • 2020年3月21日

黄門様の変質

前回の最後で言いたかったことを繰り返す。 南北朝の正閏議論において、水戸光圀の始めた大日本史が果たした役割は大きい。南朝正統論を決定づけた書物だ。 黄門様こと水戸光圀が、大日本史で南朝正統論を押し出したのは、徳川幕府の正統性を証明するため。 徳川の祖は新田氏なので、その新田氏が殉じた南朝が正統であり […]

  • 2020年2月11日
  • 2020年3月21日

南北朝正閏論はポジショントーク?

概要 南朝、北朝はいずれも血統が正しく、それなりに継承の手続きを取っている。どちらが正統なのか、論理的に判定することなど困難。 歴史上、南朝正統論のほうが声が大きい感じがするが、目的があって南朝正統を主張。いわばポジショントークのようなものではないか。 南北朝合一後の歴代北朝天皇 南北朝正閏論の系譜 […]

  • 2020年2月9日
  • 2020年3月15日

明治の南北朝正閏論の決着

要約 南北朝正閏論争は政治のステージに移った。 早稲田大学の講師が代議士を動かし国会で教科書問題の質問演説をさせようとした。 世論も動き、犬養毅らも打倒桂内閣の材料にしようとした。 明治政府は、国定教科書の編纂委員を解職、教科書を改定した。南北朝は吉野朝に書き換えられた。 明治の南北朝正閏論は政治決 […]

  • 2020年1月26日
  • 2020年3月15日

明治の南北朝正閏論争

要約 読売新聞に端を発した明治の歴史教科書問題は、まず、東京帝大に対する私学勢の対抗心という学会の中の鍔迫り合いから始まる。 次いで、桂内閣に対する犬養毅らの国民党による倒閣運動という政党の争いに飛び火する。 最後は当時の元勲・山県有朋にまでステージが上がり、歴史教科書から南北朝という言葉は消えた。 […]

  • 2020年1月19日
  • 2020年3月8日

南北朝正閏論の系譜

読売新聞に掲載された投書 明治も末、明治44年(1911年)の1月、読売新聞に小学校日本史の国定教科書の記述を批判する投書が掲載された。 どういう内容かというと、国定教科書では南北朝という言葉を使い、南朝と北朝が対等の立場で対立しているかのように書いてある。天下に二日(二つの太陽。ここでは天皇)はな […]